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 ナデシコ艦内、食堂へと続く、完全に動きの止まったエレベーター。電源の供給も止まり、非常灯の薄暗い光りがさしているだけの世界。その封鎖された世界で、その世界を分け合う住人の一人となってしまった少女、ホシノ・ルリは、珍しく後悔と言う物を経験していた。今を去ること数分前、勤務時間を終え、艦橋から退出していこうとしたルリを、同僚のコック兼エステバリスのパイロット、テンカワ・アキトが唐突に呼び止めた。そして、要領を得ない、訳の分からない説明を一通り済ませた彼は、ルリに『これからナデシコ食堂にきてくれ』と宣ったのだ。
 当惑するルリ。当然である、『何故?』と聞けば、「いや、その・・・ルリちゃんに・・だから・・ははは」と、訳の分からない愛想笑いしか返さない人間の誘いなど、怪しく思わないはずがない。
「・・・お断りします」
 ルリは、やはりと言おうか案の定の返事を返した。しかし、アキトは愛想笑いを浮かべながらも意外に諦めが悪い。終いには「どうしても!」「どうしても!!」と頭を下げ始める始末。その態度があまりにも情け無かったので、仕方なくルリは「食堂へ行けば良いんですね?」と、取り敢えずナデシコ食堂へ向かうことを容認した。『自分に頭を下げて誘う』と言った事態に、艦長ミスマル・ユリカ等のアキト固執隊が何も言わなかった事が気になったのも理由の一つである。
 そして、アキトについていく格好で廊下を歩き、食堂へ行くためにエレベーターに乗り・・・そして、今の現状が訪れた・・・


 7月7日は最悪の日?


 −7月7日、午後6時15分−

 それはまさに突然の出来事であった。
 アキトとの一緒にエレベーターに乗って、十数秒としないうちに轟音とも言うべき爆発音が響き、瞬間、エレベーター何が激しく揺れた。
「キャッ!」
 エレベーターが揺れた瞬間、軽いルリは浮き上がり、可愛らしい叫び声を上げる。
「うぉ!?」
 ルリほど体重が軽くなかったため、浮き上がることは無かったテンカワ・アキトも、その一瞬の揺れには対処する術を見つけられず、ルリ同様面白いように揺られる。エレベーターの床に叩き付けられる二人。そして、揺れが収まると同時に、エレベーター内の明かりが落ちてしまう・・・
「・・・・何?・・・」
 床に叩き付けられたお尻をさすりながら、流石日頃から沈着冷静で通っているルリは、素早く状況の把握に勤めた。まず、状況を確認し、エレベーターの停止と、明かりの落ちた状態を確認、腕に付けているコミュニケを使って、ナデシコに搭載されているスーパーAI『オモイカネ』にアクセスを試みる。その間、一緒にいるはずのアキトの事など頭の片隅にもない。
【「・・・・・・・・・」】
 しかし、コミュニケは、ウインドウは出すものの、ノイズまみれの画面しか展開されずオモイカネから応答がない。これでは、少し使えない懐中電灯くらいの役目しか果たさない。
 ルリは、コミュニケの明かりを頼りに立ち上がると、エレベーターの押しボタンの下にある非常用コンソールを開いた。
「・・・・・・・」
 一瞥し、機能を確認すると、非常信号のボタンを押し、次に非常灯点灯のボタンを押す。
 チ・・・チチチッ・・・
 点灯する非常灯。ここまですると、もうルリにできる事はない。後は救助を待つだけである。ルリは、コンソールパネルを閉めると、コミュニケを切り、一息つくために床に座り込んだ。
 ムニュ・・・
 そして、気絶したアキトの顔を、そのお尻で敷き潰したとき、初めてアキトの存在を思いだした。

 −7月7日、午後7時30分−

 ナデシコ艦橋は大パニックに陥っていた。
 数日前、7月7日がホシノ・ルリの誕生日であることを偶然聞きつけたミスマル・ユリカが主催となり、7月7日に厨房で誕生パーティーを開催しよう、と提案。企画、準備など滞り無く進行し、いざ当日の開催日、開催時間となった瞬間、間の悪いことに敵木連艦隊に奇襲を喰らったのである。
 ナデシコ心臓部・・・オモイカネ搭載部分に新兵器『跳躍砲』を喰らい、データ保護の為にオモイカネがフリーズ。しかも主要メンバーがナデシコ食堂に集まっていたために対応が遅れる遅れる。
 直ぐさまエンジン部分に集結したウリバタケ率いる整備班の機転で、エンジン部分を手動操作。艦橋に返り咲いたハルカ・ミナトとの絶妙の操鑑で、敵艦隊の射程距離外に逃走したものの、敵戦力に執拗に追われる始末。そしてこの時、余りの忙しさに『誰も』、オモイカネフリーズのために存在感の無いホシノ・ルリと、以外に流行物の感があるテンカワ・アキトがいないことを気にしていなかった・・・

 −7月7日、午後8時48分−

「・・・ぱ・・・パス・・・」
 パラ・・パラパラ・・・
 アキトの手から、手に持っていたトランプのカードが舞い落ちる。
「テンカワさん、パスは三回までなので私の勝ちですね」
 ルリも、手に持っていたカードを床に置く。
 エレベーターに閉じこめられた二人は、アキトが、ルリの誕生会の時の出し物用に持っていたトランプで、ゲームに興じている。しかし、閉じこめられてから既に2時間以上が経過・・・流石に、やるゲームに事欠いてきた。
「流石に、飽きたね」
 非常灯の明かりを頼りに、トランプを拾い集め器用にカットするアキト。そんなアキトの呟きに、ルリも「そうですね」と、取り敢えず相打ちを打つ。もっとも、アキトはルリと違って、エレベーターが揺れた時、しこたま頭を打ち付け、敷き潰した事によりアキトの存在を思い出したルリに起こされるまで意識がなかったのだから、少しだけルリより閉じこめられた時間を短く感じているはずである。もっとも、その為にルリのお尻で顔を埋められたことなど、アキトは全然知らないのだが・・・
「しっかし、いったいどうしたんだろうな?ナデシコ。こんな長時間電源も復旧しない、助けにも来ない、コミュニケも繋がらないなんて」
「そうですね、オモイカネに繋がらないところを見ると、大事件と言っても差し支えないかもしれませんね」
 トランプを片付けながら愚痴るアキト。そのアキトに、適当に返事を返すルリ。ルリは、正直何度も同じ愚痴をこぼすアキトにウンザリしていたのだが、二人しかいなくては何かあったときに困る。適当に相づちを打って話を繋いでいる・・・
『ヤレヤレ・・・ですね。オモイカネには自動普及システムがついている・・・『よほど』の事がない限り、数分で自動復旧してコミュニケも回復するはず、でも、既に数時間。これは、下手をするとナデシコが沈んでここで終わり・・・ですかね?』
 何処か人生を達観した感じで、ルリは誰に言うでもなく一人思う。
『思えば生まれて12年。何もない人生・・・あ?』
 ところが、そこまで考えたときに、ルリは自分が今日13歳になったことを思い出した。
 ポン!
 一人手を打ち、ウンウンと頷くルリ。
「ん?どうしたの、ルリちゃん?」
 そんなルリを見ていたアキトが、珍しそうにルリに聞いてくる。ルリ自身は気づいていないのだが、実はさっきから微妙に表情を変え、百面相をしていたのだ。
「いえ、実は今日、13歳の誕生日を迎えたことを思い出したんですよ」
「え?!・・・あ・あ・・・・あはははは、お!おめでとうルリちゃん!」(ギクッ!)
「いえ、ただそれだけですよ。・・・そう言えばテンカワさん、ここに閉じこめられる事になった、ちょっとした『切っ掛け』、どうして私を食堂に引っ張っていこうと思ったんですか?」
「あ・・あははははははっ」(グサッ!)
「笑って誤魔化してないで答えてください。気になることは、一つでも減らしておいた方が、死に際が良さそうですから」
「死・・・死に際って?」
「・・・・・このままでは、助かる見込みはないと言うことです。さあ、答えてください」
 ルリに、いきなり本日の目玉・・・パーティーに関係することと、ルリの主観とも言うべき達観した生死を同時に見せられ、アキトは、正直どう言って答えてよいか、言葉を詰まらせた。
 ルリに、誕生日パーティーの事を黙っておいたのはユリカのアイデアであり、『驚かせよう』と言う考えにアキトもどうしたからだ。ところが、目の前の少女は誕生日に何の感傷も抱かず、異常事態にも生死を達観し、気にもしていない。これでは、口止めはされているが、黙っていることに意味がない・・・
 アキトは、少し思案したが、意を決すると黙っておくことを止めた。
「・・・その・・・ルリちゃんの誕生日をみんなで祝おうと、食堂でパーティーを企画していたんだ。で、俺はルリちゃんを驚かせようと企画したみんなの総意で、パーティーの事は黙ってルリちゃんを呼びに来たってわけ」
「・・・・・・はあ、そうだったんですか。それは、どうも・・・でも、どちらかと言うと、誕生日を祝おうと考える事の方が驚きです」
「え?!疑問って・・・」
「テンカワさん、では聞きますがどうして誕生日を祝うんですか?」
「そ・・・それは、その・・・生まれてきたことを、みんなで祝うから・・・」
「ですから、どうして祝うんです?」
「だから!その・・・ルリちゃんの誕生日を祝うのは、ルリちゃんに会えたことを感謝して・・・」
「誰にです?私の・・・何処にいるか解らない両親にですか?それなら、パーティーに私は要りません」
「!?・・・あ、だから!その!・・・ルリちゃんは、みんなが誕生日を祝ってくれるのが、嬉しくない?」
「光栄だとは思います」
「・・・・・・・・ゴメン」
 アキトは、ルリに一言詫びると、静かに俯いた。
 確かに、『誕生日は祝うもの』と言う固定観念に捕らわれていたことは否めない。しかし、この少女の、改めて思い知らされる『自身に対する意識の希薄さ』はどうだ。『他人に対する意識の無さ』はどうだ。ルリにとって、誕生日など戸籍上の年輪の一つに過ぎない。「おめでとう」と言われても、おめでたく感じることが出来ないのだから「はあ、どうも」で終わりである。
 しかし、今それで話を切ってはいけないとアキトは思った。このまま切ってしまっては、数日間ルリの誕生日会の為の準備に意味はなくなるし、ユリカ達にも悪い。そして、何より・・・改めて思い知ったルリの『悪い癖』を見て見ぬ振りを決めることはアキトには出来ない。
「・・・ルリちゃん、でも・・・やっぱりそれって寂しいよ」
 非常灯の薄暗い闇の中、そっと呟くアキト。
「でも、そんなモノでしょう?テンカワさん」
 しかし、ルリは何処までもクールだ。アキトはかぶりを振る。
「確かに!今までのルリちゃんの誕生日は、ただ過ぎて行くだけだったのかもしれない。でも、今からは違う物になるかもしれないだろう?」
「どうでしょうかね?そもそも、どうして私の誕生日を祝おうと思ったんですか?」
「え?、それはユリカが・・・」
「言い出しっぺは艦長ですか。納得です」
「え?」
「私がナデシコに乗って、二回目の誕生日ですよ。なぜ『二回目』だけ祝おうと言い出したのか、その理由が解ったと言うことです」
「理由・・・それは、やっぱりみんなルリちゃんの事を・・」
「客寄せパンダですか?」
「ルリちゃん!!」
「・・・テンカワさん、艦長はあれだけ「アキト、アキト」とおっしゃいますが、テンカワさんの20歳の誕生日・・・2月は何かしました?」
「・・・あ!」
「思いつきってヤツですよ。私の誕生日なんて理由に過ぎません。恐らく、プロスさん辺りと話をしていて、たまたま私の個人情報でも見たんでしょう」
 そこまで言うと、ルリは『会話』に満足したのか、アキトをこれ以上追求するのは止め、エレベーターの壁に寄っかかると、瞳を閉じた。
 アキトには、返す言葉がなかった。
 白状すれば、アキト自身『誕生日を祝ってもらって嬉しい』などと言った思いは、遠の昔に忘れてしまっていたのだ。アキトの両親は、アキトに愛情を注いでくれた。誕生日は、必ず祝ってくれた。しかし、その両親もアキトが8歳の頃火星独立に端を発したクーデターで死んでしまった。それ以降、アキトは自分の誕生日を誰かに祝ってもらった事がない・・・
 エレベーターに、静かな、気まずい沈黙が流れた・・・

 −7月7日、午後10時00分−

 ナデシコ艦内時間午後10時。
 奇襲を受けたナデシコは、漸く反撃のチャンスを掴んでいた。ナデシコ自体がエネルギー発電を止めてしまっているため、敵の索敵に極度に引っ掛かりにくくなっている・・・
 その事を理とし、敵旗艦をエステバリスで奇襲してしまおうと言う作戦が、艦長ミスマル・ユリカから提出され、その準備・・・エステバリスの出撃や、トラップとなるミサイルの人力射出に追われていたのだ。
 そして・・・
「なあ?所でテンカワは?アイツもエステのパイロットだぜ。出撃しねーのかよ?」
 格納庫で、エステバリスのパイロットの一人、スバル・リョーコが、ふと出撃して行くエステバリスを見て呟く。アキト専用の機体でが、ピクリとも動いていないのが目に入ったのだ。もっとも、コミュニケが繋がらないために、離れた艦橋に確認を取ることも出来ない。リョーコは、同僚のアマノ・ヒカルに機体を近づけ、機体同士の接触会話で語りかける。
【「アキト君?どうせその辺で、艦長と一緒にいるんじゃないの?」】
「そうか?まったく・・・こんな時くらい割り切ってパイロットやれよ・・・」
 もしこの時、コミュニケに変わる、ちゃんとした通信手段が有れば艦橋にリョーコが問い合わせ、ユリカの「アキトは何処?」が始まったかもしれない。しかし、艦橋に通信を付ける手段はなく、ユリカは現在、自分の思いついた作戦に浮かれ、頭の中にアキトの事など残念ながら無かった。

 −7月7日、午後10時27分−

 アキトとルリ。二人がエレベーターに閉じこめられ、ほぼ4時間が経とうとしていた。しかし、その間外の情報も入らず、また助けも一向に来ない。人生達観者のルリは、変化のない状況にも焦り一つ浮かべなかった。しかし、アキトはそれ程デキた人間ではない。4時間も閉じこめられ、またルリとの話でストレスを貯めたアキトは、だんだんイライラが募ってきた。また、戦闘中になっていると言う状況の解らないアキトは、自分がルリを伴ってエレベーターになったことを、艦橋メンバーのほぼ全員が知っていながら助けに来ない状況に、不信感を募らせる・・・
「・・・クソッ!」
 ガンッ!!
 唐突に、アキトは立ち上がるとエレベーターのコンソールを力一杯殴った。しかし、そんな事をしても手が痛いだけで状況は何一つ変わらない。それどころか、コンソールを殴った瞬間ルリに、「どうでも良いですけど非常信号ボタンを壊さないでくださいね」と、しれっと言われる始末。アキトのイライラは最高潮に達しようとしていた。
「そもそも・・・どうしてこんな目に遭うんだよ、クソッ」
 吐き捨てるように、現在の不満を呟くアキト。考えようによっては、僅か数十秒乗るだけで通過するはずだったエレベーターに閉じこめられるのは、確かに運が悪い。アキトのこの時の呟きも仕方のないことだっただろう。ところが、今までクールで、静かだったルリが、この一言に過剰反応を示した。
「私のせいですか?」
 突然言い捨てるルリ。
「・・・なんでそうなるんだよ、ルリちゃん」
 その言葉に、一瞬『ムカッ』と来たアキトだったが、喉まで出かかる怒鳴り声を押さえ、努めて冷静にルリを諭す。しかし、ルリはそのアキトの言葉に、押さえてある怒気を敏感に感じ取り、ルリにしては珍しく、暗闇の中アキトを睨み付けると一気に喋り始めた。
「・・・ハッキリ言ったらどうですか?テンカワさん。『私のせい』だって。そもそも、私の誕生日なんて祝おうとしなければ、『お互い』こんな目に遭わずに済んだんですよ」
「な!・・・ルリちゃん!言って良いことと・・」
「では、反論してください。だいたい、誰が「祝ってくれ」なんて頼んだんですか?艦長やテンカワさん達の思いつきにつき合わされる身にもなってください。お祭り好きなのは解りますが、良い迷惑です」
「ルリちゃん!!」
「ほら、怒鳴るだけで反論しない・・・情け無いですね、無用な親切心のなれの果て、と言うヤツは」
「いい加減にしろ!!」
 アキトは、遂にキレた。
 怒髪天をつき、ルリに飛びかかるとその襟首を掴みあげる。その苦しさに顔を歪ませるルリ。そんなルリに怒鳴り散らすアキト。
「順序立てて言うぞ!そもそも、ルリちゃんに黙って誕生日会の準備をした!この事事態別にルリちゃんに迷惑をかけていない!それに、ルリちゃんは俺に言われてエレベーターに乗った!その何処がルリちゃんのせいなんだ!」
「く・・・くるし・・・」
「無用な親切心?じゃルリちゃんは一人で生きていけるのか!?自分は何様だ!達観しているように振る舞うのは、何を知らないからだろう?!『知ろうとしないからだろう!?』ルリちゃん!!」
「テンカ・・さ・・・くるし・・・苦しい・・・」
 何故これほどルリの態度に腹が立ったのか、アキト自身も良く解らなかった。しかし、ルリの『他人に対する態度』と『自分に対する自虐的認識』は、どこか自分を見ている様で腹が立った。アキトは、苦しむルリの表情に気づかず、少しの間締め上げる格好になっていたが、ルリが涙目になってきた時になって、漸く自分のしている事に気がつき、手の力を抜き、ルリの襟首から手を放した。
「は・・・は・・・は・・・・ゲホッ・・・」
 床にしゃがみ込み咳をするルリ。気まずさと、それでもルリに対する怒りから、その姿に声もかけずに床に座り込むアキト。
 エレベーター内の会話が、この時とぎれた。

 −7月7日、午後11時00分−

 ナデシコの外では、エステバリス隊と木連の戦艦警備隊が戦闘を開始していた。オモイカネに頼り切っている設計になっている通信設備であるが、この時ばかりは通信も不要であった。艦長ミスマル・ユリカの作戦・・・熱源を一切殺しての奇襲が的中したのだ。しかも、コンビを組んでいるリョーコ、イズミ、ヒカルは申し合わせなくても見事な連携を見せる。アカツキなどは、一人撃ち漏らしの敵を掃討し、戦艦に対する道を造っているだけである。
「よし!勝てるぞ!!」
 意気上がるアカツキ。成果を待つナデシコクルー。それぞれが忙しいため、見事にアキト達の存在は後回しにされてしまっていた。

 −7月7日、午後11時06分−

 沈黙の支配するエレベーター。アキトとルリは、先ほどのいざこざ以来一言も会話を交わしていなかった。ルリは、アキトの態度に怒っていたし、アキトも自分の単略的な行動は反省していたが、やはりルリに対する怒りは消えない。
 そもそも、自分はルリの言葉に、どうしてそこまで怒ったのであろうか?
 怒り意外にアキトの頭に有ることと言えば、今はこれくらいである。だから、『その』変化に一番先に気がついたのは、案の定とも言うべきか、ルリであった。
「・・・・・・閉じこめられて5時間、そろそろまずいですね」
 誰に言うでもなく、ルリが呟く。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 その呟きに、何も言わないが、視線だけをアキトはルリに向けた。
「エレベーターの酸素が、そろそろ尽きますよ。遺言くらい綴っておいても良いと思います」
 アキトの視線に、ルリは冷たい視線を向けて答える。そして、そっと瞳を閉じると眠るように俯く。アキトは、その言葉に怒りを忘れて焦った。
「ちょっとルリちゃん!どういう事だ!」
「・・・・ナデシコのエレベーターは、外部装甲の破損に備え、区画単位で密封されています。そして、その区画内に生み出された酸素が供給されているわけですが、その供給は既にストップしています。いくら私が少女で、酸素の使用量が少なくても、そんなに長く持ちません。あと30分持つか持たないかでしょう。気がつきませんか?息苦しくなってきているでしょう。二酸化炭素の濃度が濃くなってきて、呼吸を阻害しているんです」
「な!?・・・何とかならないの?」
「どうにもなりません。オモイカネが復帰するか、救助が来るかしないと無理ですね。もっとも、ナデシコ艦内も、このままではそんなに長く持たないでしょうけど・・・ま、短い人生でしたね、ごちそうさま・・・」
「じょ・・・冗談じゃない!!」
 アキトは頭を振った。まさに冗談では無い。確かに、先ほどから息苦しいとは感じていた。しかし、それは密閉空間に閉じこめられた人間特有のストレスだと思っていたのだ。だが、それが酸欠だとすれば、手をこまねいていては、酸欠で死んでしまう。アキトは、ノイズ混じりの画面しか展開できないコミュニケを明かり代わりに、エレベーターを捜索し始めた。
『無駄ですよ・・・』
 そのアキトの姿を、冷めた視線で見つめるルリ。
 他人の誕生日を祝おうとするアキト。激昂するアキト。生きることを諦めないアキト。
 どれも、ルリの主観の範疇外の行動である。
「無駄ですよ、このエレベーターの設備は・・・ここに限らず、ナデシコの設備は全部知っています。脱出の役に立つモノは有りませんし、手段も有りません」
「・・・・ルリちゃん、どうしてそんなに簡単に諦められる?」
「無駄な努力はしない主義です。それに・・・私には、生きて成すべき事なんて有りませんもの」
 既に、ルリはアキトに対する怒りすら、サッサと、用無しと捨てている。
 この時、アキトには、どうしてルリが達観した行動をするのか・・・『自分のせい』などと口走ったのかが、漠然と理解できた。
『この子は・・・『嬉しい』事を知らないんだ。そして・・・無意識に『自分の存在』に疑問を抱いて・・・・一人でいるんだ・・・・・・・』
 アキトは、そっとルリの傍らに跪くと、深々とルリに頭を下げた。
「テンカワさん?」
「・・・・さっきは、ゴメン・・・・」
 神妙に謝るアキト。突然の展開にキョトンとするルリ。
「・・・そんなことしても、本当に私何も出来ませんよ」
 ルリは、突然アキトが自分に謝ったのは、知恵を拝借するための行動だと断定した。しかし、アキトはそんなルリの言葉を笑って流す。
「大丈夫!・・・って、ホントに何も思いつかないけど・・・何とかするよ」
「・・・はあ?」
「そして・・・気分良くルリちゃんの誕生日を祝うよ」
「テンカワさん?」
「ルリちゃんは・・・今まで『嬉しい』と思ったことがある?」
「あ・・・」
「無いだろう?だから・・・今回の誕生日で、ルリちゃんに『嬉しい』事を知ってもらいたいんだ」
「・・・・・・はあ・・・でも、無理です」
「ルリちゃん・・・・」
「あの・・・勘違いしないでくださいね。時間が・・・」
「え?」
「既に午後11を回ってます。もう、私の誕生日もおしまいです」
「・・・・・そっか」
「それに、私はきっと・・・どんなにテンカワさんが頑張っても、『嬉しい』なんて思いませんよ。そう言う・・・人間ですから」
「なら!これから俺がルリちゃんに『嬉しい誕生日』ってヤツを思い知らせてやる!」
「・・・テンカワさん?」
「今年がダメなら来年!それがダメなら再来年!!いつか必ず、俺がルリちゃんに『祝ってもらって嬉しい』と心から言わせて見せる!だから・・・・あの、怒ったり頼んだり忙しいヤツだと軽蔑するかもしれないけど・・・その・・・取り敢えず約束!」
 アキトは、しどろもどろになりながら必死に言葉を紡ごうとする。
「もう、良いですよ。さっきのことも・・・・」
 そんなアキトを、見るに見かねて助け船を出すルリ。
『本当に・・・忙しい人ですね』
 怒ったり、しどろもどろになったり、今度は自分の誕生日を毎年祝うと言い出したアキトを、ルリは先ほどの怒りを忘れ見つめた。よくよく考えれば、自分とこれほど感情をぶつけ合わせたのは、目の前の青年が始めてではないだろうか?ルリは、そう思う・・・
『・・・あ!?』
 それは、ハッキリ言ってしまえば偶然であった。
 アキトを見ていたルリの視線が、アキトのベルトに備え付けられているパイロット用のポシェットに注がれた。ルリの思考が急速に回り、天啓の如く妙案が浮かぶ。
「テンカワさん、そのポシェット貸してくれませんか?」
「え?いいけど・・・」
 ルリは、アキトに断りを入れると、ポシェットを貸してもらいその中を開ける。中には、パイロットの非常事態ツールとも言うべき、コックピット付近被弾の備え、パイロットスーツの応急処置のテーピング、消毒液、ガーゼ、カット用の携帯カッター、折り畳み式コップなどが入っている。ルリは、その中から、消毒液とコップを取り出し、消毒液の成分を確認した。
『やっぱり・・・』
 そして、その成分を確認し自分のアイデアが『使える』もので有ることを確信する。ルリは、コップ1/3を消毒液で満たすと、カッターで自分の腕を斬りつけようとした。
「ルリちゃん!?」
 アキトが慌ててるルリの手を止めようとするが、躊躇のない行動に生制止の手が遅れた。鮮血が、ルリの左手から発生する・・・ルリは、深く斬りつけたために溢れてきた血を、消毒液の中にポタポタと注ぎ込み始めた。
「驚く事無いですよ、テンカワさん。これは、消毒液と血液、そしてナノ・マシンの化学反応で酸素を作ってるんです」
「え・・・酸素を?」
「はい、血液と消毒液だけでは、少量の酸素しか発生しませんが、私のようにナノ・マシン処理を受けている人間は、ナノ・マシンの抱えている酸素を、そのまま取り出せます。つまり、血液とこの消毒液が有れば、酸素を発生させ少しの間粘る事が出来ます。その間に電源が回復するか、救助が来ると都合がいいですね」
「・・・来なかったら?」
「・・・窒息死です」
 ルリのしれっとした言葉に、アキトは息を飲んだ。目の前の少女は、この絶望的な状況でも至って冷静だ。いや・・・『生と死に、大差がないのかもしれない・・・』アキトは、ふとそんな事を思った。やはり、がんばって『嬉しさ』を知ってもらわなければいけない。何故かアキトはそう思う・・・過去の自分の姿をルリに見ているのかもしれない。誰も居なかった子供の自分・・・
 ただ、今アキトがしなければいけないことは、考え事に浸ることではない。アキトは、より一層深く斬りつけようとするルリの手を止め、カッターを奪い取ると自分の腕を斬りつけた。
「テンカワさん?」
「こう言うのは、男の仕事だよ」
 痛みをやせ我慢し、ルリに笑いかけるアキト。そして、相当量の血液をコップに注ぎ込む・・・にわかに、エレベーター内に立ちこめる化学反応の産物。
「これで、しばらく大丈夫だね」
 アキトは、その光景に一安心すると、再び壁にへたり込んだ。そして、今度は血止め用の消毒ガーゼをポシェットの中から探し出し、傷口を押さえる。そんなアキトに、ルリは黙って水色のハンカチを差し出した。
「ルリちゃん?」
「傷口・・・これで縛っておいた方が良いですよ。止血しないと、その傷はまずいです」
「・・うん、ありがとう。ルリちゃんもちゃんと止血しておくんだよ」
「私は、そんなに深く切ってませんよ」
 暗闇の中、どちらとも無く肩を寄せ合い座り込む二人。時間だけが、そんな二人に過ぎて・・・・
「あ?!」
 行かなかった。
「時間時間!」
 アキトは、突然時間を確認した。

 −7月7日、午後11時59分−

 時間は、まだ明日を指し示してはいなかった。
「間に合った!ハッピーバースディ・ルリちゃん!」
 アキトは、上着のポケットからひったくるようにピンク色の紙包みを取り出すと、殆ど押しつけのような勢いでルリに強引に手渡す。それは、ルリへの誕生日プレゼントであった。
「あの・・・何です?これ」
 誕生日プレゼントなどもらったことがないルリは、勢いで押しつけられた包みを手に取りながらアキトに問う。
「何って・・・あ、これは誕生日プレゼントだよ。ホントは食堂で渡すはずだったんだけど、誕生日に渡さないとやっぱりダメだからね」
「はあ・・・えっと、あの・・・・・」
「え?」
「・・・・・・・・『一応』、ありがとうと言っておきますね」
 プレゼントに困惑するルリ。アキトは、ルリの『一応』が、珍しく顔に出るほど困惑している為に出た言葉であるために、別段気分を害することもなく、また当日に渡せた満足感も手伝って、極上の微笑みを浮かべながら頷く。
『怒ったり、笑ったり・・・ホントに不思議な人ですね・・・』
 ルリは、そんなアキトの微笑みに、また何と言って良いか解らなかった。

 −7月8日、午後01時30分−

 日付が7月7日から7月8日に変わった頃、ナデシコの艦橋は先勝ムードに、整備班や一部の関係者は復旧作業の疲れに包まれていた。結局、ユリカの奇襲作戦は成功を収め、敵戦力は旗艦を沈められ敗退。あとは、整備班が破損したオモイカネシステムの部分を復旧するだけとなった。幸い、オモイカネ自体が直撃を受けたわけではない。部分的な修理で、何とか復旧する見込みである。
「るんるるん♪おっさかんさん♪おっさかなさん♪」
 危機を脱した安堵感より、自分の作戦が成功したことに御機嫌なユリカが、艦橋を鼻歌を歌いながらウロウロしている。ハッキリ言って、この場合彼女に出来ることなど何一つないので無理もない。
 他の人員・・・操舵士のミナトは、不安定なナデシコの航路を修正するのに忙しく、周りのことを気にかける余裕が一切無い。通信士のメグミは、通信機が使えないので、伝令係として修理ブロックとブロックを駆け回って言うので艦橋にいない。プロスやゴートも、破損個所のチェックで忙しい・・・
 オペレーター席は、主の居ないまま、明かりも差さずに静かに鎮座している。

 −7月8日、午後01時45分−

 エレベーター内の酸素は、二回目の限界に来ていた。
「・・・・・もう・・ダメみたいです・・・ね・・・・」
 酸欠の息苦しさが、ルリの顔を蒼白にしている。ルリは、もう瞳を開けている力もなくなってきた。完全に力の抜けてしまった体が、アキトの方に崩れ落ちてくる・・・
「な・・なに言ってるんだよ・・ルリちゃん・・・・・約束・・したじゃないか」
 アキトは、自分の方に倒れてきたルリを抱き留め、苦しい息の下、必死にその小さい肩を揺らし呼び掛けた。
 既に日は変わり7月8日。今年のルリの誕生日はまさに『最悪』だった。ここでルリと共に死んでしまっては、いきなり約束を破ることになる。それに、アキト自身、こんな所でコックになると言う夢をかなえることも出来ずに死ぬなど冗談ではない。アキトは、自分の肩にルリを寄っかからせると、携帯コップに、残り少ない・・・殆ど雀の涙とも言うべき消毒液を全部入れた。そして、携帯カッターで思い切って左手の手首より、少し上の方を斬りつけ、一層の血液をコップに注ぐ。
「・・・これで・・・もう少し、持つ・・か」
 既に、アキトの血液は牛乳ビン換算で4本分を出血している。アキトは、酸欠と出血で意識を遠のかせながらも、傷口を押さえ意識を必死に保っていた・・・

 −7月8日、午後01時42分−

「オーイ!オモイカネと主動力復旧させるぞ!!」
 オモイカネの鎮座しているブロックで、今まで復旧作業に当たっていたウリバタケ・セイヤが、自分と共に作業に当たっている整備員に大声で叫んだ。破損したパーツの交換と修理、点検が漸く終わったのだ。
「主電源回復、オモイカネブロック復旧!っと!」
 自分で自分に景気を付けながら、データ保護のためにフリーズしていたオモイカネのロックを外す。途端に、艦内に明かりが戻り、重力制御が完全に復旧する。
「やったあ!」
「ふー・・お疲れ」
「お疲れさまでした、皆さん・・・」
「うむ、お疲れだな」
 艦橋のクルーも、復旧した電気にシステム復旧を確認し、お互い安堵の声をかけ合う。その瞬間・・・
【「緊急事態!緊急事態!!」】
 ナデシコ艦内のクルー全員のコミュニケが作動し、エレベーター内で折り重なるように倒れているアキトとルリの姿がウインドウに映った。

 −7月9日、午後03時12分−

 あの、最悪のエレベーターからアキトとルリが救出され、さらに一夜が明けた。軽い酸欠だったルリは、一晩寝ただけで元気になったのだが、出血のおまけを付けたアキトはそうも行かず、数日間の静養が執必要とイネスに診断された。仕方なく、医務室のベッドに横になっているアキト。午前中などは、戦闘の忙しさにアキト達の事を忘れていた面々が、謝罪がてら見舞いに来てくれていたため、それ程暇でもなかったのが、午後ともなるとそれぞれの仕事がある。従って、アキトは暇そうにベッドに横になっている。
「ふわぁぁぁ・・・」
 わき出てくるあくびを、隠す必要もなくさらしゴロゴロするアキト。立ち上がってウロウロしたくもあるが、まだ少しフラフラするために、出歩くのもおっくうである。
【「テンカワさん、具合はどうですか?」】
 ところが、そんなアキトの目の前に、突如コミュニケのウインドウが開き、あのエレベーターで共に喧嘩をし、助け合った少女、ホシノ・ルリが映し出される。アキトは、慌ててあくびをかみ殺すと、照れ笑いを浮かべながら「大丈夫だよ」と返事を返した。
 そんなアキトの様子に安心するルリ。態度、表情にこそ出さないが、ルリはアキトを心配していた。怒鳴り合い、助け合ったことによって、テンカワ・アキトと言う人間は、ルリの中の『他人』と言う枠組みから一歩飛び出したのだ。もっとも、ルリ自身は、まだそこまでの自覚はなく、『助けてもらったから心配して当然』と自分に言い聞かせている。
 今朝一番に、医務室の前まで来たのだが、イネスが居たために遠慮してしまい入れなかった医務室。
 勤務時間が始まると、今度は昼勤務のユリカ達が医務室に押し掛けてしまい、何故か行くのを躊躇してしまった医務室。
 今のルリには、何故かコミュニケのモニターを繋ぐことにすら、とまどいを感じる。彼女の心は、少しだけ成長したのだ。
「しかし・・・医務室で寝てるなんて暇だよ。艦橋のほう、どう?」
 そんなルリの心情を知らないアキトは、暇なところに現れた話し相手に、これ幸いと話しかける。
【「いつも通りです。艦長も『勤務時間』なのにいませんし・・・テンカワさん、こちらも暇なのでゆっくりしていてくださっても良いですよ」】
「そうも行かないよ、パイロットの待機任務だけじゃなく、厨房の方もあるし。ルリちゃん、プロスさんに言って置いてよ、明日には厨房に戻るって」
【「解りました。あ・・・・テンカワさん」】
「ん?なに」
【「来年・・・期待していますね」】
 あまり長く話していると、同じ艦橋勤務のミナト当たりに気づかれからかわれてしまう・・・ルリはキリを付けると、最後に一番にいたかった言葉をアキトに告げて・・・照れたような微笑みを浮かべウインドウを消した。そして、その言葉を紡ぐ唇は、薄いピンク色に染まっていた。
「・・・・来年・・か」
 アキトは、ルリが閉じてしまったウインドウの有った場所を少しの間眺めていたが、やがて満足げに一人微笑むと、枕にそっと頭を預け直す。
『そうだな・・・来年は・・・きっと』
 ルリの微笑みに、アキトの脳裏には、早くも来年の7月7日の事が思い浮かんでいた・・・

−FIN−



文:河田



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