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夏休み特別企画作品(笑)
〜ルリの“長い”夏休み〜
1)
…未だ光の差し込まぬ部屋の中で…小さな寝息だけが聞こえる。
「…すぅ…すぅ…」
大きなベッドの真中に、シーツが小さく盛り上がっている。その滑らかな盛り上がりが
ベッドに横たわる人影の身体の線を感じさせる。細く、でも女性らしい曲線を帯びた
優美なライン。プログラムしてあったのか、広い窓に掛けられているブラインドが動き
出して柔らかな陽光が室内に満ち溢れる。
「…ぅ…ふ…」
ベッドの人影が、陽光を避ける様に向きを変える。その小さな頭が振られた勢いで、
長い髪がふわりと広がる。顕わになった白い肩に掛る、銀色の髪。その髪の間から、
細い首筋から頤までが光を浴びて艶めいている。
もしその姿を見る者が居れば、即座に魅了されてしまうであろう可憐な容姿を惜しみ
無く晒しながら…彼女は熟睡していた。
降り注ぐ陽光も、彼女の眠りを妨げてはいない。彼女はかなり重度の低血圧なのだ。
しかし、そんな彼女のやすらぎの時間にも突然終りは遣って来る。
【どうも。マキビ・ハリです。《モーニング・コール・プログラム》をセットして
おきました。これで艦長も起きられますよね♪】
サウンド・オンリーのプライバシー・モードにセットしてあるコミュニケから、元気な
声が聞こえたかと思うと…
【パ〜パ〜、パ、パ〜ン!ジャンジャンジャンジャン♪】
恐らくハリの趣味なのであろう『ツァラトゥストラは斯く語りき』が大音量で流れ
始めた。暫くは聞こえない振りをしていた彼女も、遂に我慢出来なくなってベッドの
上に跳ね起きる。そして、手の一振りでコミュニケのウィンドウを閉じる。返す手の
動きでハリのコンパートメントへ回線を繋ぎ直すや否や、彼女は猛然と喋り出す。
「何を考えてるんですか、ハーリー君。一体、どういうつもりで…」
【こちらは、留守番プログラムです。御用の方はメッセージを…】
相手がプログラムである事に気付き、通話を切る。
「そうでした…他のクルーの皆さんは『夏期休暇』でしたね…」
独りごちる女性の肩は、心持ち元気無く下がって見える。やがて、気だるい動きで
ベッドを降りる。
「…起きなくちゃ…」
ゆっくりとした足取りで、浴室へと向かう。
…ホシノ・ルリの朝は、こうして始まった。
2)
「…はふ。」
もしゃもしゃと、朝食を摂るルリ。まだ、寝起きの状態が続いているらしい。
テーブルの上にコミュニケのウィンドウを浮かせて、オモイカネから送られて来た
メールやニュースの一覧を流し読みしている。…実際、オモイカネと直接リンク
すれば一瞬で伝達されるデータに過ぎない。それでも緊急の要件が無いか確認する処が
生真面目なルリらしい。
「…あら?何でしょう?」
メール一覧の中に、業務関係の大量のメールに紛れてルリ個人宛てのものが一通ある。
早速、そのメールを開くルリ。その途端、大きく広がったウィンドウから見覚えのある
金髪が見える。
「…サブロウタさん。」
【どうも!艦長、お元気ですか!?俺は元気にやってます。ここのビーチは可愛い子が
多くて、もう…】
サブロウタのナンパ話は、暫く続いた。
【…では艦長、お留守番させてしまって申し訳ありませんが…お土産、期待しといて
下さい!んじゃ!】
「…メールとは、思えませんね…」
普段と変わらず喋り捲るサブロウタのメールに、ルリは呆れた様な、でも暖かい表情を
見せる。…彼は彼なりに、独り残った自分の事を心配してくれているらしい、と。
「さて、行きましょうか…」
朝食とメール・チェックを終えたルリは、宇宙軍のオフィスへと向かった。
3)
「大変な事に為ったのだよ、ルリ君!」
オフィスに辿り着いたルリを待っていたのは、宇宙軍元帥『ミスマル・コウイチロウ』
その人だった。
「どうしたんですか?」
コウイチロウのアップにも、何時の間にか慣れてしまったルリは平然と答える。
「ここの処、謎の戦艦に乗ったテロリストに『ターミナル・コロニー』が次々と破壊
されているのはルリ君も知っていると思うが…」
「手懸かりでも、見付かりましたか?」
冷静な面持ちで返す、ルリ。しかし、事態はルリの予想を越えていた。
「そのお蔭で、物資輸送に遅延が生じてしまってね。かと言って、民間会社は船を
出したがらんし…済まんが、行って来てくれたまえ。」
「…はぃ?」
「食料を運んで欲しいんだよ。『ナデシコB』で。コロニーまで。」
珍しく呆気に取られた表情のルリに、追い討ちを掛けるコウイチロウ。
「なぁに、心配は要らん。何処から聞いたのか知らんが、クサナギ君の艦隊が護衛に
付くと言っておる。」
「クサナギ、さんですか?」
何処か含む処のありそうなコウイチロウの物言いに、引っ掛かりを覚えるルリ。
『クサナギ艦隊』…特に、聞いた名前では無いのだが…
「うむ、まぁ…悪い人物では無いのだが…彼は少し、その…ルリ君自身に、関心が有り
過ぎるのでなぁ。」
「…?」
ますます不審そうな表情になるルリに、慌てた様にコウイチロウが言葉を継ぐ。
「何せ、今の『ナデシコB』のクルーはルリ君ただ独りだからね。一隻では、行動
させられんよ。」
…そう、ルリを除いたナデシコ・クルーは、今まさに『夏休み』の真っ最中なのだ。
『何をバカな』と言う無かれ。普段の激務に耐えかねて軍を辞める者は後を断たない。
そんな人員減少に歯止めを掛けるべく宇宙軍上層部が考え出したのが、『福利厚生の
しっかりとした楽しい職場、宇宙軍♪』というキャッチ・コピーに代表されるイメージ
戦略である。故に『夏休み』は外せない『お約束的イベント』となってしまったのだ。
「貧乏クジで済まんが、宜しく頼むよ。」
「はい。」
「ルリ君も休みなら、断ってしまえたのだが…何分、急を要する事だからねぇ。」
「…構いませんよ…私は、どうせ休みを取っても独りですから。」
申し訳無さそうなコウイチロウに、ルリは答える。本来はルリも休む様に指示されて
いたのだが…彼女は断っていた。《艦を留守には出来ない》というのが表向きの理由で
あるが…
《独りの家になんて、居たく無い。》
それが、ルリの本心だった。
…ドアを開けても、誰も居ない。
【お帰り。ルリちゃん。】と暖かく迎えてくれた、あの人達はもう居ない…
冷えきった空気の待つ宿舎に帰るのが、ルリはとても嫌いだった。ドアを開ける事さえ
嫌だった。…懐かしい声が聞こえて来るのを期待してしまう、自分が嫌だった…
「大丈夫かね、ルリ君?」
コウイチロウの呼掛けに、物思いから抜け出すルリ。《はっ》とあげた視線の先には、
慈愛に満ちたコウイチロウの顔だった。
「…お互い、独りの家に帰るのは味気無いものだね。」
「…はい。」
《この人には、お見通しですね…》
この人物も又、ルリと同じ想いを抱えながら日々を過しているのだろう。心配させて
しまった事に気付いたルリは、心を切り換える。
「ホシノ・ルリ、物資輸送の為『ナデシコB』で出発します。」
「うむ。宜しく頼むよ。」
ルリの敬礼に、コウイチロウが返礼を返す。その表情は娘を見守る父親のそれだった。
4)
【殺伐とした宇宙に咲く、一輪の花…電子の妖精、ホシノ・ルリ少佐。お会い出来て
光栄です。私は本艦隊を指揮するクサナギです。以後、宜しくお願い致します。】
ナデシコが出航してから3日目、合流して来た艦隊と連絡を取ったルリが最初に聞いた
台詞がこれだった。どう答えてよいのか判らなくなったルリは、取敢えず無難な答えを
返す。
「…どうも。宜しくお願いします。」
【婦女子を御守りするのは、男子たる者の使命です。お任せ下さい!】
木連出身の軍人らしい直接的な言葉に、会ったばかりの頃のサブロウタを思い出して
薄く笑みを浮かべるルリ。それを見たクサナギ艦隊のブリッジ・クルーは、一様に
吐息を付く。しかし、そんな長閑な空気を切る様にレーダー担当のオペレータが警告を
発する。
【所属不明の機動兵器が多数接近中。応答ありません!】
俄かにブリッジの空気が緊張に満ちる。ルリも、オモイカネから報告を受けていた。
「バッタとジョロの混成部隊ですね。後方に母艦らしい木連型の空母が一隻います。」
「そうですか…では、そちらを抑えれば無人兵器は止まりますね。」
淡々とした遣り取りを交わす、ルリとオモイカネ。彼女らに取って、さほど困難な
局面では無かった。『ナデシコA』の時から一緒に戦い続けて来た彼女とオモイカネに
取っては。…しかし、クサナギ艦隊は実に木連的な判断をした様だった。
【機動兵器部隊、出撃!『ナデシコ』には、近付けるな!!】
続々と打ち出されて行く、機動兵器。ルリは歯噛みする思いで、それを見ていた。
《母艦のシステムを抑えてしまえば、パイロット達を危険に晒さないで済むのに!》
此処にサブロウタが居てくれれば、あんな軽はずみな出撃はさせなかっただろうに、と
思ってしまうルリだった。
「オモイカネ、敵母艦のシステムを抑えます!強制接続用意!!」
「判りました。」
ルリのシートが迫り出して行く。やがて、周囲にウィンドウを張り巡らせたルリの
肌が光を帯びて行く。白銀の髪が波打ち、金色の瞳は輝く。
「…システムは…中枢は何処!?」
珍しく焦りを見せるルリ。
《こうしている間にも、有人の機動兵器が打ち落とされているかも知れない…》
そう思うと、尚更焦燥に駆られる。
「オモイカネ、私をサポートして。」
「…しかし、艦の制御が…」
「構いません。…人命優先です。」
「判りました。」
オモイカネがルリのサポートに集中する。…途端にオートの対機動兵器プログラムでは
追い切れなかったバッタがナデシコに群がって来る。
「後、少し…」
直接攻撃を受けて揺れるナデシコのブリッジで、ルリは必死の面持ちでクラッキングを
続けている。
《こんな時に、ハーリー君が居てくれれば…》
そう思わずにはいられなかった。彼ならば確実に無人兵器を迎撃してくれた筈だった。
自分が弱気になっている事に、ルリは今更ながらに気付く。
「…ここ!」
ルリの意識が、敵艦の中枢システムを捉える!そして、瞬時に無力化した。
…しかし、同時にバッタの集中攻撃を受けたナデシコに激震が走る。
「…ァウッ!」
ブリッジの床に叩き付けられ、ルリの意識は薄れていった…
5)
「…本当に、申し訳有りませんでした。あれしきの敵から、護り切れんとは…」
「お気になさらずに。…あれは、制御を失った無人部隊だったんですね?」
「その様です。貴方の抑えられたシステムには、独自の判断で戦闘を継続していたと
思しき記録が残っていました。」
「まだ、他にもあんな機械が残っているのでしょうね…」
「出来うる限り、処分しているのですが…数が多くて…」
無念そうなクサナギに《貴方の所為ではありませんよ》と、労りの言葉を掛けるルリ。
「軽傷の方だけで済んで、良かったですね。」
「…これでは、立場が逆ですね…ご自愛下さい。…では…」
ひたすら恐縮しながら、クサナギはルリの病室を辞して行った。
独りになったルリは、また物想いに耽る。
《私は、何時の間にか…こんなにもあの人達に依存していたのですね…》
戦闘中に幾度と無く彼らが居てくれればと思った。…彼らに傍に居て欲しいと思った。
ルリは今まで《ナデシコA》のクルー達以外に、こんな気持ちを持った事は無かった。
《私は…認めるのが怖かったのかも知れない…自分にとって大切な人達が居る事を。》
白いシーツに、ぽたぽたと雫が染み込んで行く。
《私は…また、大切な人達を失うのが怖かったのかも…知れない…》
抑える事の出来ない想いが、涙となって溢れ出して行く…
その時、病室のドアが【バンッ!】と大きな音を立てて開かれた。
「『艦長、大丈夫ですか!?』」
声をダブらせて、ハリとサブロウタが飛び込んで来た。涙を流すルリを見て、固まって
しまうハリ。サブロウタも幾分驚いた様子で、尋ねて来る。
「艦長が怪我したって聞いて、飛んで来ちまいましたが…どっか痛みますか?」
「すいません、艦長、すいません…僕が、僕が一緒に居れば手助け出来たかも知れない
のに…」
「…俺も、同じだよ。こんな事なら、待機しときゃ良かった…」
自責の念に駆られる二人の姿を見ていたルリが、ぽつりと呟く。
「…私も…貴方達に、傍に居て欲しいと、思いました…」
ルリの言葉に、虚を突かれる二人。
「貴方達の居ないブリッジは、とても詰らなかった。…とても寂しかった。こんなにも
時間の流れるのを遅く感じたのは初めてでした…独りの時間は、とても長かった…」
…彼等は今まで、彼女の事を冷徹な人物であると思い込んでいた。常に動じる事無く、
確実に物事をこなす…そんな人物だと。しかし今、目の前で胸の内を吐き出し続けて
いるのは、ただの『独りぼっちの女の子』だった…
涙を拭こうともせずに、二人の方を見つめるルリ。
「私は、貴方達が居てくれないと駄目に為ってしまったみたいです…これからも一緒に
居てくれますか…?」
ルリが涙ながらに告げる願いに、二人は即答する。
「『勿論です!』」
この時、彼等は初めてお互いの本当の気持ちを知ったのかも知れない。後に宇宙軍の
『ベスト・アイランダー』としてその優秀さを認められる艦橋指揮コンビはこうして
纏まったのだ。…この後、ハリとサブロウタは度々思い出す。
…彼等の答えに、輝くばかりに微笑んで見せた『少女』の姿を…
Story is over.
ども。O.SUGIで御座います。
『ルリの“長い”夏休み』をお届けします。
この話は、アキトとユリカを失った後のルリを描いた(つもりの)ものです。
この後、『劇ナデ』のお話へと繋がって行きます。…うまく書けたかどうかは
ともかく(汗)
“ルリはこんなんじゃ、無いやい!”等など、ご感想など頂ければ幸いです。
最後に、こんなんで良かったんでしょうか、水霧さん?(汗)
ではでは。
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