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クリスマス投稿

〜白いモノ〜

0)
白いモノが、視界を過る。

とても柔らかそうな、とても暖かそうなそれは、しかし触れると冷たい刺激を
残して消えてしまう。

少女は飽くなき好奇心を発揮して、そのモノを捕まえようとする。
小さな掌を天にかざして、白く染まった大地の上を駆け回る。

そうして、広場の端まで走った少女が息を呑む。小高い丘の上に作られた
その広場からは、街が一望出来るのだ。眼下に広がる白い街を、大きな瞳を
零れんばかりに開いて見つめ続ける。

やがて誰かに呼ばれたのだろうか、少女が振り返る。

暫く動きたく無さそうにしていた少女だったが、名残惜し気に街に眼を向けた
後は吹っきれた様に走り出す。

…少女が立ち去った後も白いモノは、静かに広場に舞っていた…


1)
「ホシノ少佐。」

ゆっくりと通路を進んでいたルリが、歩みを止める。そして、声のした方へと
静かに振り返る。彼女の白銀の髪がふわりと広がって、白い顔の周りを飾る。

髪の輝きに呑まれた様に、声を掛けた下士官の方が見惚れて止まってしまう。
そんな反応に慣れているのか、ルリは呼び掛ける。

「…何か?」

その冷ややかとも取れる声音に、金縛りに近い状態だった下士官が我に返る。
「…失礼しました。少佐宛てに電報が入って来ております。」

ルリが、珍しく虚を付かれた様に問い返す。
「…電報?」
「はい。通常の通信では無く電報…正確には『電報』の形式を取ったデータでした。」

「中を見たのですか?」
ルリが不愉快そうな眼差しで聞く。

「はい。…『電報というのは、紙に打ち出して読むものだ!』と技術顧問が…」
困った顔をして答える下士官の言葉を、ルリはウンザリとした様子で遮る。

「また、あの人ですか…判りました。それで、今は何処に在るのです?」
「…打ち出した物は、技術顧問が持って行ってしまいました。」
「どうして、あの人に渡したんです!?」

今度こそ、ルリが本気で怒る。下士官は心底困った様子でしどろもどろに答えた。

「丁度電報が届いた時に、技術顧問が何故かブリッジに居らっしゃいまして…
 勝手に解凍して、勝手にプリントして、勝手に持って行ってしまったんです…」

下士官の答えに、怒りを通り越して呆れるルリ。やがて、気分を切り替えて呟く。

「まあ、本体が在るのならそれを読めば良いのですね…」
「それが…プリントした途端に、電報のデータが自己崩壊を始めまして。
 残っているのはプリントしたものだけなんです。」
「つまり…あの人の処に行くしかないって事ですね…」

疲労感に襲われているルリに、下士官が追い打ちを掛ける。

「技術顧問は…何とも言えない表情で、『ホシノ・ルリ…どんな表情をするの
 かしらね。フフフ…』とか、言っておられました。…お気を付けて。」

本気で心配しているらしい下士官に、ルリは少し表情を和らげて答える。

「貴方も被害を被った事があるみたいですね…?」
「…はい。」

苦いものを含む表情で答える下士官に、ルリは苦笑を返す。

「まぁ、警戒する事にします。ご苦労様でした。」
「いぇ。それでは、失礼します。」

立ち去る下士官を見送った後、ルリは気を引き締める。

「さて…それでは会いに行きましょうか。」
そしてルリは降りて行く。技術顧問、『イネス・フレサンジュ』の待つ地下実験室へ…


2)
「イネスさん?…ホシノ・ルリです。」

地下実験室…通称『魔女の遊び場』。
イネス・フレサンジュが【実験室は、絶対に地下でしょう!】と主張した為に
現在の様な不便な場所になった経緯があるその場所には、積極的に近寄る者は
殆どない。只、時たまどうしても来ざるを得なくなった者のみが此処を訪れる。
そして、来た時とは色々な意味で異なる状態になって帰って行く。
…この宇宙軍《火星》基地の鬼門と呼ばれる所以である。

ルリ自身には危険な処という意識はないが、鬼門という点はルリにも当て嵌まる。
普通の人間とは言い難いルリに対して、イネスは興味を持っているらしいから。
…そして、共通の人物に対する想いをお互いが持っているという点も、ルリが彼女を
苦手に感じる要因となっていた。

「…イネス…さん?」
照明の点っていない暗い研究室の中を、恐々と覗き込むルリ。答えは背後から来た。

「来たわね、ホシノ・ルリ。そんな処に突っ立ってないで、さっさと入りなさいな。」
「…どうして、外に居るんです?」

この白衣の女性が、わざわざ自分を驚かす為だけに部屋の外に居たのでは無いか…?
ルリはそんな脅迫観念すら覚えていた。

「お茶を煎れようと思ったら、お湯が無かったから汲みに行っていたのよ。」
疑わしげなルリを軽く受け流して、イネスはルリを促して研究室に入る。

部屋の片隅には何故かコタツが置いてある。白衣の裾を裁いて優雅に座るイネス。
急須にお湯を注ぎながら、ルリに視線を向ける。

「…座ったら?そんなに急ぎでも無いんでしょう?」
「…。」

さっさと用を済ませて退散しようと思っていたルリの機先を制する形で、イネスが
湯呑みを薦めてくる。タイト・スカートを気にしつつ、ルリが座布団の上に落ち着くと
何時の間にか眼の前にはミカンが置かれていた。

「火星ミカンよ。嫌いだった?」

ルリの問い掛ける様な視線にイネスが答える。黙って皮を剥き始めるルリ。
その新鮮な酸味にルリが意識を向けていると、唐突にイネスが一枚の紙を
滑らせて来た。

【クロハ カセイニ オリル カミノ ウマレシ ヒニ シュクフク アレ】

その一文に眼を通したルリの肩が揺れる。

『《黒》は火星に降りる。神の生まれし日に祝福あれ。』

ルリの心の中に懐かしい、でも一時も忘れた事の無い面影が映る。何時も真っ直ぐに
自分を見ていてくれた優しい眼差し。喩え、今は漆黒のバイザーに覆われていても…

喜び、悲しみ、寂しさ、愛しさ…一気に溢れ出した感情に翻弄されるルリの様子に
確信を深めたイネスがぽつりと零す。

「アキト君…でしょう?《黒》って。」
「…。」

ルリは答えない。イネスも別に返答を求めていた訳では無かった。その代わり、
彼女は違う事をルリに尋ねる。

「誰なの?その『電報』を送って来たのは。」
「…答えないと…いけませんか?」

ルリが固い声で返す。イネスは《ふっ》と短く息を吐く。

「いいえ。貴方のプライベートに干渉するつもりは無いわ。…ただ…」
「…?」
「貴方や彼に力が必要な時には、いらっしゃい。私にとっても、貴方と彼は
 大切な存在なんだから…後、あの《おちびさん》もね。」

静かに言って、薄い微笑みを浮かべるイネス。ルリは無言で頭を下げた。
…声を出すと涙が零れそうだったから…


3)
自分の個室へと向かう間、ルリの脳裏に描き出されていたのは少女の面影。

薄く桃色掛かったプラチナの髪。腰を越える程に長く伸ばされたその髪には少しの
癖も無い。小さく白い顔の中で、とても印象的な光を放っていた黄金色の瞳。感情を
表さない其の少女の顔に、しかしルリは自分に対する抑え切れない好奇心を感じた。

ルリが少女と初めて出会ったのは、火星攻防戦の時。

火星の軌道上までの全ての電子機器を支配下に措いた筈だったルリ。しかし、
ただ一隻の艦だけは平然と彼女のハッキングを無力化していた。其処でルリが
見たのは白い少女の姿。

『私はラピス。ラピス・ラズリ。…私はアキトの眼。私はアキトの耳。私は…』
少女は歌う様に告げる。自分がテンカワ・アキトの感覚器官であると。

その時ルリが感じたのは…僅かな嫉妬にも似た感情と、深い感謝の想い。
娘として自分を引き取ってくれたアキト。そんなアキトが苦しんでいる時に、
自分は何も出来なかった。しかし、この少女はその間ずっとアキトの傍で
彼を助けてくれていたのだ。

《…ありがとう…》

ルリが無意識に送った想いに、少女は驚いた様に見えた。でも、その後直ぐに
照れ臭そうな、そして嬉しそうな想いが返って来たのだった。ルリはその少女が
とても好きになった…

【あれから…ラピスはよく、私にメッセージを送ってくれるようになった…】

常にアキトと共に行動しているラピス。ルリのアキトを心配する気持ちを感じ取った
彼女は、自らの足跡を時折送って来るようになった。ルリにアキトを無理に連れ戻す
気が無い事も、ラピスがルリに好意的な理由の一つであっただろう。

アキトの心が落ち着くまで、ルリにはアキトを捜すつもりは無かった。
…この子が傍に居るのなら、アキトも無茶な行動は控えてくれるだろう…
ラピスの存在を知った時、ルリはそう思ったのだ。

【いつも…ありがとう、ラピス…】
ルリは心の内でそっと呟く。

何処か自分に近い雰囲気を持つラピス。彼女とアキトが火星に降りて来る。
普段のラピスからのメッセージは、行動した後の記録の様なものだった。
それが…今回は事前連絡となっている。

【私に判断を任せてくれたのかな…】
ルリは考える。

行き先を知らせて来たラピス。ルリにその気があれば、アキトに会う事も出来るだろう。
確かにルリは二人に会いたいと痛切に願っていた。でも、それはアキトが自らの意志で
帰って来て欲しいという願い。

【貴方の心遣いはとても嬉しいけれど…私から会いには行けない…行きたく無い。】
ルリはやはり、行かない事にした。…けれど…

【折角のラピスの気持ちを…無駄にしてしまう事になりますね…】

悲しそうなラピスの表情が、ルリの脳裏に写る。白く、儚げな装いの少女。殆ど
表情を表さないラピスが、ルリに送ってくるメッセージの中では色々な想いを
書き記してくる。そんなメッセージを読んでいると、何時の間にかルリはラピスと
会話している様な気すらしていた。

【ラピス…私は、どうしたら良いのでしょう…】

ふと、ルリの歩みが止まる。真剣に悩んでいた彼女は、自分のコンパートメントを
とっくに通り過ぎていた事に漸く気付いたのだ。

【…らしくありませんね…】
部屋の前まで引き返した彼女は、自嘲気味の笑みを浮かべてドアを潜っていった。


4)
《シャァァ…》

激しい水音が、彼女の耳朶を打ち続けている。頭を垂れたまま熱いシャワーに
打たれているルリは、千々に乱れた心を未だに整理出来ずにいた。

【ラピスに…直に想いを伝えられたら良いのですが…】

如何にルリの能力を持ってしても、それは出来ない相談だった。ラピスがその力を
存分に揮って姿を隠している以上、それを見破るのは困難なのだ。それに…

【迂闊な事をして、軍の諜報部にでも発見されたら大変ですものね】
アキトとラピスの身を第一に案じるルリに、そんな危険は冒せなかった。

【…ラピス…】

暫く考えに浸っていたルリが、水流の中で顔を上げる。その表情は、いたずらを
思い付いた子供の様だった。髪の水気を取る時間も惜し気に衣類を身に付けると
部屋を飛び出していく。

「きゃっ!?」
「あっ、ゴメンナサイ!」

通路に出たルリの眼の前に、たまたま通り掛かった女性士官が居た。慌てて
避けつつ謝罪するルリ。そして、相手の答えも待たずに走って行く。呆然と
見送っていた女性が、我に帰って呟く。

「初めて見た…ホシノ少佐が慌ててるトコ。」

ルリの頭の中は、先程思い付いたアイデアで一杯だった。実行可能かどうかを
一刻も早く確かめたい…そんな想いが彼女を走らせる。

【ラピス…待ってて、ラピス…!】

そしてルリは辿り付く。先程、涙を堪えながら潜ったドアの前に。そして、
呼び掛けに答えが返るのも待てない様に中へと走り込む。

「イネスさん!」

コタツの前に座っていたイネスの表情が、滅多に見れない驚きを浮かべる。
息を切らせながら部屋に入って来るルリを見て。

「どうしたの?ホシノ・ルリ。」
「お願いがあるんです!」

両手を胸元に当てて息を整えながらも、話し続けようとするルリを面白そうに
見上げるイネス。そして、優しい口調で告げる。

「お座りなさいな、ホシノ・ルリ。私は逃げたりしないから…」
ルリを落ち着かせながら、彼女は思う。

【また暫くは退屈せずに済みそうね】と。


5)
【プラチナハ トバズ サレド クロト トキイロニ シュクフクヲ アタエン】

「ルリは…来ないんだ…」
ラピスはネット上から拾い上げたメッセージを見て、肩を落とす。

以前《火星遺跡攻防戦》の時に遭遇してから、ラピスはルリの事が気に入っていた。
自分と同じ力を持ち、アキトを想う気持ちも同じ。それまでアキトだけが全てだった
彼女の視界に、突然映った新たな人物。しかし、その挙措は彼女に不快感を与える
事は無かった。

…それから、彼女の心は少し変わった。

『アキトの傍には自分だけが居ればイイ』
そう考えていた少女の心は、何時しか

『ルリにもアキトの事を教えてあげなくちゃ』
と、ルリを気遣う女性的な側面を備える様になっていったのだ。

ルリの所属する宇宙軍の動向に眼を配り、その周囲のデータバンクにさり気無く
紛れ込ませたメールで彼女と連絡を取るようになった。そして、機会が在れば
彼女とアキトを会わせてあげようと考え始めたラピス。今回の火星行きは、好機
だと思われたのだが…

「ルリは、アキトと会いたく無いのかな…?」
ぽそり、と呟くラピス。しかし、直ぐにプルプルと首を振る。

「そんな訳、ないよね…ルリはあんなにもアキトの事を気にしてたんだもの。」
初めてルリの存在を感じた時の事を、ラピスは忘れない。

ラピスの存在を知覚したルリは、少し驚いた後で名前を尋ねてきた。アキトに
ねだって彼の過去の事を聞いて以来、ルリに対抗意識を持っていたラピスは
自らの名と存在意義(私はアキトの眼、アキトの手、アキトの…)を主張した。
てっきりルリも張り合ってくると思っていたラピスは、その後のルリの言葉に
驚いた。

ルリは言ったのだ。『…ありがとう…』と。

その一言を聞いたラピスは、自分を恥ずかしく思った。ルリはアキトの事だけを
心配していた。自分への拘りなど全く感じさせずに。…ラピスは照れ臭さと
同じ想いを共有出来る嬉しさに、微笑のイメージを返す。そして、ルリからも
微笑みのイメージが返って来たのだった。

あれから、ラピスはルリを自らの上に位置付けて考えるようになった。
…年齢的にも、立場としても。そう、まるで姉に対する妹の様に。

【《プラチナ》は飛ばず。されど《黒》と《朱鷺色》に祝福を与えん。】
ラピスはメッセージの意味を考える。

「ルリは来ない。でも、アキトとワタシに何かを伝える…って事なのカナ?」
腕組みして悩むラピスに、後ろから声が掛かる。

「ラピス…どうした?何かあったのか?」
「っ!!」

《ドテッ》
突然のアキトの声に、オペレータ・シートから飛び上がったラピスはそのまま
落っこちた。腰を擦るラピスを、力強い腕が掬い上げる。

「大丈夫か、ラピス?」
「…痛いの。」

表情を変えず、言葉だけで告げるラピス。それでも、アキトにはラピスの感情が
伝わっている。リンク・システムはこんな時にも能力を発揮しているのだ。

「何もそんなに慌てなくても良いだろう…それとも、俺には教えられない事でも
 していたのかい?」
「ウウン…何でもないよ。」

ラピスは飛び跳ねる心臓を必死で抑え付けながら、しれっと答える。
アキトは怪訝そうな面持ちをしていたが、意識を切り替えて話し出す。

「ラピス…クリスマスは、本当に火星で良いのか?」

アキトは、何故ラピスが火星を選んだのか判らないようだった。決して豊かな
風景とは言えない赤い大地。惑星改造が進み移民が増えたとはいえ、植物も
満足に生えない星である。わざわざクリスマスに赴く場所とは思えなかった。

「ウン。火星で良いよ。…ウウン。火星じゃなきゃ駄目なの。」
「…そうか。ラピスがそう言うのなら、そうしよう。」

アキトが頷きながら答える。ラピスは満足そうな意思を伝えた。彼女の想いは
既に、赤い星へと飛んでいた…


6)
「テスト、開始します。」

オペレータが告げると同時に、上空を飛行していたエステバリス空戦フレームが
翼下のポッドを射出する。放物線を描きながら滑空していったポッドは、予定の
空域に到達すると爆散する。

「さぁて、ここからよね。」

作戦の指揮を取っていたイネスが口元を引き締める。彼女を知らない人間が
見れば変化の無い表情。しかし、付き合いの長いルリからすればイネスの顔が
僅かに動いたのが見て取れる。

「所定ポイントまで、後3秒…よしっ。」

彼女の言葉がトリガーだったかの様に、カウント・ゼロでポッドから飛散した
粒子が周囲の雲を巻き込んで広がる。…やがて…

「『おぉっ!!』」

メイン・スクリーンに映し出された光景に、司令室に居た面々がざわめく。
女性オペレータ達の集まっている部署からは特に華やかな歓声が挙がった。

「…こんなモノかしらね?」
彼女の立案した計画によってもたらされた結果に、本人は静かな表情を
保ったままで呟く。そして、自然な動作で司令官のブースを振り返る。

「…充分です。」
ルリもまた、静かに答えを返す。しかし、イネスにはルリの表情が初めて会った
少女の頃のポーカー・フェイスに見えた。

《無理しちゃって…》
イネスの顔に薄い、けれど優しい微笑みが広がる。ルリにイネスの感情が
読めるのだから、当然彼女にもルリの想いが読み取れる。今のルリは喜びを
押し殺すのに苦労しているのだと。

「やりましたね!これで火星にも季節感が出来ますよ!」
興奮気味のオペレータが話し掛けてくる。イネスは静かな表情のままで答える。

「そうだと良いわね…皆、浮かれるのも良いけれどデータはキチンと押えておいてね。
 実験エリアの生態系への影響、周囲の環境の変化…あと、エリア内の土と空気の
 サンプル…当然、『あれ』もちゃんとサンプリングしておいて。さぁ、仕事よ!」

一息に捲し立てる彼女の言葉に、漸くスタッフ達が動き始める。その様子を満足げに
見ていたイネスが、そっとルリの耳に告げる。

【何とか聖夜には間に合ったわ。これで、二人に良いプレゼントが出来たわね】と。

ルリは《コクリ》と肯き、実験に入ってから初めての笑みを浮かべたのだった…


7)
火星、ユートピア・コロニー跡。

今は移住者達の都市が建造されている。その大地を全て視界に収める事の出来る
小高い丘の上に、黒い影が静かに佇んでいた。

彼はこの丘からの風景が好きだった。今でこそある程度の緑が望めるが、彼が
子供だった頃には一面の赤い荒野だけしか見えなかった。しかし、そんな不毛な
大地を望む為に彼は幾度と無く此処を訪れたものだった。

ふわり、と風を孕んだマントが踊る。その漆黒の影から、朱鷺色が静かに現れる。

「此処が、アキトの故郷なんだね…」
「あぁ、そうだ。随分と変わっているけどな…」

ラピスはとても嬉しそうだった。彼女が火星に自らの足で降り立つのは、これが
初めてである。アキトが避けていた為に、ラピスは火星自体にも殆ど近付いた事が
無かったのだ。

「赤い星…勇ましい女神様の大地…」
「…?女神?」
「ウン。前に調べたデータ・ベースにそう書いてた。」
「そうか…」

アキトは、ラピスが神話などに興味を持っていた事に驚く。

【火星極冠遺跡】での攻防戦以来、彼女は色々な知識を習得しようとしていた。
まるで、誰かと会う時の話題を探している様に。アキトは勿論、気付いていた。
ラピスがルリと密かに(と、本人は思っている)連絡を取り合っている事に。

彼はルリに感謝していた。彼女と出会ってから、ラピスの心は確実に成長している。
そして自分の行動を知っていても、敢えて沈黙を保っていてくれる事に…

「凛々しい女神様。…ルリみたい。」
「…!?」

丁度彼女の事を考えている時に出た名前に、一瞬動揺するアキト。しかし、直ぐに
何事も無かった様に答える。

「そうか…そうかも知れないな。」
「ウン!ルリみたいだよ!!」

そう言って、アキトの顔を見上げたラピスが…固まった。
「アキト…!!」

只ならぬラピスの様子に、空を振り仰ぐアキト。しかし、彼も眼前の光景に立ち竦む。
「これ、は…!?」

…二人の視界一面に、真っ白な…『雪』が降り注いで来た…


8)
《喜んで…貰えましたか?…ラピス…》

宇宙軍基地。管制塔の屋上で『雪』の降りしきる空を見上げながら、一人呟くルリ。
白く冷たい、まさに『雪』に見えるそれを掌に受けつつ物思いに耽る。

彼女が思いついた《二人へのクリスマス・プレゼント》が、この『雪』だった。

【『雪』を降らせたいんです】
イネスに相談したルリは、特殊なナノ・マシンを使用する事に拠って可能だとの
答えを得る。しかし、それには結構な予算が必要だともイネスは言及する。

ルリは直ぐに行動を起こした。彼女は移住者達のネット・ワークにアンケートを出し、
『雪』を降らせる事の是非を問うたのだ。

結果は【圧倒的多数に拠る賛成】。変化に乏しい火星に住む彼らにとって、季節を
感じさせてくれる出来事は何でも大歓迎だったらしい。かくして潤沢な予算を得た
イネスは驚異的な集中力を発揮して、基礎理論だけだった計画をあっという間に
実現可能なレベルへと持って行ったのである。

イネスの研究成果である擬似的な『雪』。彼女に感謝しながら、ルリは同じ空の下に
居るであろうラピスに…そして黒き衣を纏う《彼》に想いを馳せる。

《これが…私からの贈り物です。観て貰えましたか、アキトさん…》
静かな時間の中、ルリは心でアキトに問い掛ける。

どれぐらい、そうしていた事だろう。ゆっくりと金色の瞳を開けたルリは踵を返す。
屋上の出口へと歩み寄ったルリが、ふと空を振り返る。

「何時か…帰って来てくれますよね?」

そっと口の中だけで呟いたルリは、迷いの無い歩調で建物の中へと消えて行った。


9)
白いモノが、ラピスの視界を過る。

「…すごく、キレイ。」
これが『雪』というものに似ているとアキトは言った。

とても柔らかそうな、とても暖かそうなそれは、しかし触れると冷たい刺激を
残して消えてしまう。

「これ、持って帰れないかな…?」
ラピスは飽くなき好奇心を発揮して、そのモノを捕まえようとする。
小さな掌を天にかざして、白く染まった大地の上を駆け回る。

「うわぁあ…」
そうして、広場の端まで走ったラピスが息を呑む。小高い丘の上に作られた
その広場からは、街が一望出来るのだ。眼下に広がる白い街を、大きな瞳を
零れんばかりに開いて見つめ続ける。

「冷え込んで来たな。そろそろ街に降りるぞ、ラピス。」
アキトに呼ばれたラピスが振り返る。

「…もう少し。」
動きたく無さそうなラピスが、名残惜し気に白い街を眼に焼き付ける。

「…ウン。いっぱい、見た!」
心ゆくまで景色に見入っていたラピス。漸く満足したのかアキトの方に向かって
走り出す。

「…気に入ったみたいだな?」
「ウン!!」
アキトの問い掛けに、しっかりと答えを返すラピス。

「…ルリに、アリガトって言っとかなくっちゃ。」
ぽろりと洩らしたラピスの呟き。アキトは聞こえなかった様に何も言わなかった。

《俺からも礼を言わせて貰うよ、ルリちゃん…》
胸の内で、そっとルリに感謝するアキト。彼は白い『雪』に彼女の姿を重ねて
見ていた。暫く寄り添って白く染まる風景を見つめる二人。

「行こうか。」
「ウン。」
やがて《朱鷺色》をマントの下に庇いつつ《黒》が歩み出す。

…二人が立ち去った後も、白い『雪』の様なモノは、静かに広場に舞っていた…


Story is over.




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