艦長が事故で亡くなりました。 それは、突然のことで、テンカワさんと私が呼ばれて病院に駆けつけた時、もう既に艦長は息を引き取っていました……。 丁度、艦長が私を連れてテンカワさんのアパートに転がり込んできた時で、艦長は「ルリちゃん、今日からアキトの屋台を手伝おうねっ」って張り切っていました。 でも……その艦長はもういません。 車に轢かれて、あっけないほど簡単に……。 人間って、死ぬ時は本当に簡単に死ぬんだなって思いました。 そう、事故なんてよくあることです。 私は艦長がもういないという事実を、冷静に受け止められたと思っていました。 ……でも。 なぜでしょう……胸が痛い……とても痛い。 人が死ぬのを目の当たりにするのは、これが初めてじゃないのに、前にガイさんが亡くなった時には感じなかった胸の痛みを、今感じています。 特に、お葬式を終え、テンカワさんと二人でアパートに戻った今は。 空っぽで冷たい部屋の中に入った途端、本当に艦長はもういないんだなって実感してしまいました。 ……寂しいな。 決してこれからも口にすることはないと思うけど、でも、寂しい……。 テンカワさん、部屋に入った途端にがっくりと座り込んでしまって、動こうとしません。借りて来た黒い衣装(テンカワさん、喪服なんて持ってなかったんです)、返しに行かないといけないのに、脱ごうともしないです。 「テンカワさん……」 「……」 「テンカワさん、聞こえてますか。それ、今日中に返しに行かないといけないんですよ」 テンカワさんはやっと顔を上げました。 顔色が悪いです……真っ青。 こういう時、私って女の子として失格だな、と嫌でも思います。 慰めてあげたい気持ちはあるんです。でも、それをどうしても表に出せない。 どんな顔をして、どんな言葉で「心配してますよ」って伝えていいのかわからなくて。 今も、冷静で冷たいいつもの表情をしてると思います、私。 こんな私って……なんか嫌だな。 これまではそんなこと考えたことなかったのに、テンカワさんの泣きそうな顔を見てると、そう思いました……。 「ごめん」 テンカワさんは虚ろに笑って立ち上がり、 「そうだな。返しに行かないといけないよな」 そのまま、脱ぎだしました。 私がいるのを忘れたみたいに。 私は黙って後を向きました。テンカワさん、もの凄くショックなんですね。普段は、絶対にこんなことしないのに……。 私はせめてもの気持ちを込めて言いました。 「その服、私が返してきますよ。テンカワさんは休んでいてください」 「……そう。うん、じゃあ……頼めるかな」 弱々しい声。 悲しそうで、希望も無くしちゃって、小さな子供のような……。 でも、時間が経てばちゃんと元に戻りますよね、テンカワさん。 このままなんてことないですよね。 だけど、その予測は外れちゃいました。 テンカワさんは、お葬式の日以来、毎日毎日家で膝を抱える毎日……。 ご飯もロクに食べようとしないんです。 いつもなら、私がハンバーガー買って簡単に済ませようとすると、無理にでも止めようとするのに。それは、まるで以前のテンカワさんの抜け殻のような姿でした。 あれから10日ほど経ちました。 夜、私は息が詰まるアパートから逃げるようにして外出し、コンビニへお気に入りのハンバーガーを買いに行きました。 一人だけ食べるなんて悪いとは思ったけど、我慢出来なくて。 ――と、コンビニから出たところで、 「瑠璃君」 振り向くと、そこには艦長のお父さんが立っていました。 「……こんにちわ」 「うん、葬式以来だね。こんなところでどうしたね」 にこっと笑顔。 テンカワさんと違い、この人はもう元気を取り戻しているように見えます。 もちろん、悲しみが消えているはずはないけど、テンカワさんより大人だからでしょうか、それを外に出していません。 「ちょっと食事を」 私が端的にそう言うと、 「テンカワ君は用意してくれないのかね」 「いえ。今は色々とあるんじゃないでしょうか。わからなくもないです」 「ふむ」 艦長のお父さんは、立派な髭を手で引っ張り、なにか思案顔。 しばらくして、思い切ったように言いました。 「どうだろう。テンカワ君がそんな状態なら、この際ウチに来る気はないかね。ワシも、娘のユリカが引き取った瑠璃君に責任を感じているし――」 「ごめんなさい」 気が付くと、私は頭を下げていました。 別に、この人とテンカワさんの仲が悪かった(注。ユリカが死亡したとき、まだ二人は和解していなかった)とか、そんなのは関係ありません。 理性では、好意に甘えるべきじゃないか、という気もします。なにしろ、私は本来、まだ保護者の必要な立場ですし。私自身はそんな必要ないと思いますけど、とにかく世の中の決まりではそうなっています。 もうテンカワさんは、経済的にも精神的にも私の養育なんかしてる余裕なさそうですし、ついていくのが正しいんでしょう。 でも、やっぱりそんなの嫌だな……。 正直、今のテンカワさんには情けなさも感じているけど、でも、それでも私は―― だから、私はもう一度頭を下げました。 ごめんなさいって。 「そうか」 艦長のお父さんはため息をつき、目を瞬きました。……あ、ちょっとクマがある。 やっぱり、悲しみが消えたわけじゃないんですね。 「なんとなく、そう言うと思ったよ。……ワシは、まだテンカワ君のことはよく知らんが、瑠璃君やユリカが惹かれるくらいだから、認めねばならんのだろうねえ」 そのまま首を振って、艦長のお父さんは行ってしまいました。 なんかタイミング良すぎだから、偶然じゃなくて様子を見に来たのかも。 でも……惹かれるって……? 私、ちゃんと隠しているつもりだったんですけど……隠せてないのかな。 テンカワさんは、全然気付いてないみたいなのに……。 私は、本当はどうしたいんだろう……。 なんだか、手にしたハンバーガーが、ひどく冷たく感じられました。 ジャンクフードって好きだったのに。 なんとなく、買って間もないそれをゴミ箱に投げ込んじゃってました。 アパートに戻ると、テンカワさんはこたつに足を入れて座ったまま、ぼう〜っとしてました。このところ、ずっとそうなんですけど。 私はいつものように無視して本を広げたりしないで、テンカワさんの正面に座りました。 誰かが背中を押してあげないといけない。 艦長もナデシコのみんなもいない今、それは私の仕事なのかもしれない。 「テンカワさん、知ってますか? もうウチ、お金ないですよ。今日の晩ご飯とかどうするつもりなんです? 私、お腹がすきました」 そう言うと、さすがにテンカワさんは少しつらそうにしました。無理ないですよね。ローティーンの生意気な女の子に、「お腹すいたからどうにかしろ」って言われてるんですから。 「……ごめん。まだ、俺の財布に少しあるから、外でなにか食べておいでよ」 「嫌です」 ゴソゴソ財布を出そうとするテンカワさんに、私はきっぱり告げました。 「テンカワさんもキチンと食事を摂ってください」 ――まだ言わないと。 「……今日、艦長のお父さんに会いましたよ」 テンカワさんが目を丸くして私を見ています。気は進まないけど……艦長のお父さん、ごめんなさい。 「――あんな甲斐性のない男は見捨てて、ウチに来なさいって言われました」 無言。 でも、悔しさは感じているみたいです。 テンカワさん、隠すのが下手なんです。すぐにわかります。 「……そうか」 「でも、私は断りました」 俯きかけた顔を、また上げるテンカワさん。……無精髭生えてます。 「艦長はお金持ちの暮らしよりも、テンカワさんと一緒にいる方を選んだんですよね。でないと、ここへ来るはずがないです。好きだったから、愛していたから、艦長は貧乏なんかなんでもなかった。……違いますか?」 まだ無言。 でも、私の話にじっと耳を傾けています。 神様……いえ、そんな非科学的な物がいるとは思えないですけど、でも……もし本当に神様が存在するなら、どうか今、私に力を貸してください。 今の、この一瞬だけでいいですから……。 私は大きく息を吸い込んだ。 「私も、ユリカさんと同じ気持ちです。……いくら貧乏で、ロクに灯油も買えない毎日でも、それでもテンカワさんと一緒にいたいと思います」 ……やっぱり、そんなすぐに勇気なんて出ないです。遠回しにしか言えない。 でも、少しは効果あったようです。 テンカワさん、ちょっと頬が赤い……ううん、それは私もかも……。 ナンパとかする人って凄いな。 私には絶対に無理。 「だから、どうか元の元気なテンカワさんに戻ってください。今みたいなテンカワさん、見ていたくないです。艦長だって、こんなテンカワさんを好きになったわけじゃないと思います」 「瑠璃ちゃん……」 「私、生意気ですよね……まだ子供なのに。でも、わかってください。もしテンカワさんのことをなんとも思っていなければ、ただ放っておきます。好きなだけ落ち込ませておきます。だけど、そんなことできない。そうしようと思ったけど、やっぱり出来ないんです。テンカワさんは……私にとっても大事な人だから」 なんだか泣きそうになったけど、やっぱり涙は出ませんでした。顔だって、平静なまま。私って、告白にむいていないみたいです。 でも、全くの無駄でもなかったみたい。 テンカワさん、無気力っぽさが消えています。 「……心配かけてたみたいだね、瑠璃ちゃん」 「別に私は。ただ、テンカワさんがしっかりしてくれないと私も困りますから」 今のセリフ、途中でつっかえました。 恥ずかしいです。 そのまま俯くと、テンカワさんが手を伸ばして私の手を握ってくれました。 あ、もしかしたら、初めてかも……。 ちょっと暖かい……。 「とりあえず、買い物に行くよ。それから、明日から屋台も再開する。俺、まだ一人ってわけじゃないもんな。がんばらないと」 くすっ。 笑ってしまいました。 だって、さっきまでの無気力顔が嘘みたいに張り切り出すから。でも、私も嬉しい……なんだか顔が笑いかけてるかもしれません。 余程いつもと違った気分だったのか、私はテンカワさんが立ち上がると、すぐにこう言ったんです。 「私も一緒に行きますよ。……いいですよね。これからはずっと一緒なんですから」 数年後。 ナデシコBの艦長席に座る瑠璃は、艦内時計をちらっと見た。……あと数時間でテスト運転が終わって地球へ戻れる。 そうしたら、一番に行かないと。 と、そんな艦長の様子が珍しかったのか、クルーの一人が、声を掛けてきた。 「艦長、なにかいいことでもあるんですか。楽しそうですよ〜」 まだ若い女性である、彼女は、からかうように言う。 瑠璃は頬に手を当てて、 「……顔に出ていましたか」 「う〜ん、ほとんどいつもと変わらないけど、今、くすって笑った気がしたんです。……勘違いでした?」 「いいえ、勘違いじゃないです。もうすぐ、私の大事な人がちゃんとしたお店を開くんです。そのことを考えていたんですよ。行ってあげなきゃって」 そう、屋台じゃなくて、きちんとしたお店。 私も、お休みの日は手伝ってあげたい。 でも―― ええ〜っ。 誰にも話したことがなかったせいか、艦内に動揺の声が満ちた。 瑠璃は特に動じない。 話したことがなかったのは、そんな必要がなかったからだ。なにも不思議はない。 いつものように平静な表情で、「皆さん、モニターをちゃんと見ましょうね」とさりげなく注意する。 渋々正面を向くクルー達。 ![]() しかし、一番最初に質問した女性のみが、まだしつこく訊いてきた。 「あの……その人って艦長の恋人さん……ですか」 瑠璃は―― 少しだけ間を置き、無言ですうっと微笑んだ。 白磁の頬に本当に幸せそうな表情が浮かぶ。それはごく一瞬のことだったが、訊いた女性がぽおっとなったほど、美しい笑顔だった。 『……そう、アキトさんは私の想い人です』 頑固にも、あくまで声には出さず、瑠璃は心の中でそう呟いた。 |